意外にもあの芸術家?!「万能人」が発見した原理と見える技術の歴史とは

意外にもあの芸術家?!「万能人」が発見した原理と見える技術の歴史とは

指にコンタクトレンズを乗せて装用する時、ふと思ったことはないでしょうか?

コンタクトって一体誰が作ったの?

そもそもこんなものを目に入れてみようと最初に思いたった勇気ある人って誰?

と。

今でこそ当たり前になっているコンタクトレンズですが、最初に考えた人ってすごいですよね。怖くなかったんでしょうか。

今回は意外と知られていないコンタクトレンズの歴史をひもといていきましょう。

1.コンタクトレンズの第一歩

コンタクトレンズの原理を最初に発見したのは、誰もが知っているあの芸術家レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci)なんです。

1508年、ある日彼がガラス製の壺に水を張り顔をつけて目を開けたところ外の景色がいつもと違う見え方をしていることに気がつきます。これがコンタクトレンズの原理の発見と言われています。

彼は「万能人」という異名を残すほど色んなことに長けていました。特に人体の解剖学に興味があったことから、目についても様々な実験をしていたのではないかと言われています。

水を通してみた景色と解剖学の知識が結びついた時、それがコンタクトレンズの原理が生まれた瞬間だったのです。

2.デカルト氏の提案、ながいながーいコンタクトレンズ

その後、1637年に出版されたフランスの古い書物にこのような記載があります。

”1636年、フランスのレーン・デカルト(Rene Descartes)は水の入った筒状のものを目に接触させることによって、光の屈折や反射によって見え方が変わると指摘した”と。

ようするにそれを削って短くすると現在のコンタクトレンズになるのです。よってデカルトはコンタクトレンズの創始者と言われています。

3.コンタクトレンズの名付け親、フィックの実験!VSミューラーの実験!

1888年、眼科医だったスイスのオーゲン・フィック(A.Eugen Fick)は、ウサギの眼球に合わせて作ったコンタクトレンズをウサギに装用させることに成功します。

その後、近視である自分の目に合わせガラス製のコンタクトレンズを作り、自らを実験台とし視力矯正を試しました。

これが人類が初めて目の中にコンタクトレンズを入れた実験です。結果は装用感が悪く短時間で目が充血してしまったそうです。この実験は“Eine kontactbrille(アイネ コンタクトブリレ)”という本に記載されており、それが現在のコンタクトレンズという名前の由来になっています。

オーゲン・フィックと同時期、ドイツのアウグスト・ミューラー(August Muller)も自分の視力を矯正するためコンタクトレンズを作りました。ガラス製の為、痛みに耐えきれず30分しかもちませんでしたが、強度の近視を矯正することには成功しました。

レオナルド・ダ・ヴィンチが最初に原理を発見してから約380年後のことです。しかし自分の目の中にガラスを入れるって考えただけで恐ろしいですよね。

4.初代ハードコンタクトレンズは問題だらけ!?

1930年代からあちこちで本格的な開発が進み、1938年、PMMA(ポリメチルメタクリレート)というアクリル樹脂で出来た今でいうハードコンタクトレンズの原型が開発されます。

この素材の開発により一般にハードコンタクトレンズが普及し始めますが、PMMAは酸素を通さない素材のため装用時間に限りがあったり目に障害が出るなど様々な難点が出てきます。

1970年代ごろ、この難点を解消するために酸素を通す素材、RGP(Rigid Gas Permeableの略)が開発されます。これが現在のハードコンタクトレンズの主な素材です。

5.米ボシュロムより初代ソフトコンタクトレンズの発売

その後、1960年代にチェコスロバキア(現在のチェコ共和国とスロバキア共和国)の科学者オットー・ウィフテルレ(Otto Wichterle)が現在のソフトコンタクトレンズの素材となるアクリル系ハイドロゲルを発明しました。

この発明がアメリカに伝わってソフトコンタクトレンズの研究が進み1971年、米ボシュロム社によってソフトコンタクレンズが発売されました。

柔らかく装用感の良いソフトコンタクトレンズは多くの人に普及していきます。

6.日本はどうなの?当時の国内のコンタクトレンズ事情とは?

日本で初めて、強角膜コンタクトレンズ(白目まで覆うコンタクトレンズ)が完成したのは1950年のことです。

眼科医の水野豊氏が、角膜が突出してくる円錐角膜(えんすいかくまく)という疾患で悩む高校生のために自宅の台所で夜な夜な研究し作ったのが始まりと言われています。

時を同じく1951年、当時名古屋の老舗眼鏡店に勤めていた田中恭一氏はアメリカの将校夫人からコンタクトレンズの話を聞かされます。

興味を持った田中氏は研究を始め日本初の角膜コンタクトレンズ(黒目の部分だけ覆うコンタクトレンズ)を完成させました。この田中氏こそ、後のメニコンの創業者です。

【まとめ】最初の発見からどんどん進化を続けるコンタクレンズ

いかがだったでしょうか?コンタクトレンズは、長い歴史を経て現在の私たちが知っている形になったのですね。

最初は、視力矯正のために開発されたコンタクトレンズですが、今やカラーコンタクトレンズやこのコラムでも登場したスマートコンタクトなど、色んな目的に使われています。ますます進化し続けるコンタクトレンズ。

もっと技術が進み、私たちが想像すらしていない機能を備えたコンタクトレンズが登場してくる日もそう遠くないはず・・!?